ラグビーコーチへの道

ラグビーネタをメインに書いていきます。

何故ニュージーランドに来たのか②

同期の死そして毎日残業の嵐、遅いと毎日終電という日々が続いてた中、同年の5月か6月のある日大学ラグビー部同期のキャプテンと昼飯を食べている時に、突然ニュージーランドに行かないかと聞きました。

特にワーキングホリデーについて詳しい事は知らなかったし、もう一度ラグビーがやりたいとしか考えていませんでした。その後の人生設計はできればトップリーグ、難しかったら自衛隊フランス外人部隊でも入ろうかな〜と漠然としか考えていませんでした。

兎に角、
①日本社会から1度逃げたかった
トップリーグorその下のリーグクラブになんとしても挑戦したい
それだけでした。

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(初ニュージーランドを機内から見た時)

キャプテン本人も住宅系の会社で苦労していたらしく、 いきなりの提案でしたが乗り気でした。
一人で行くよりも二人の方が安心というシンプルな理由で誘ったんだと思います。笑
 
そこから大学OBのKさんに相談しました。恐らくニュージーランドにいたKさんと言うと知っているラグビー関係者が多いと思います。
Kさんは多くのトップリーグの通訳やコーチを経験しており、更にニュージーランドで永住権を取得しており色々と 相談にのってもらいました。
(因にKさんが恐らく日本人で唯一オークランドでのクラブ優勝メンバーだったと思います。)



着々と準備を進める中で2つ、自分にとっては大きな事がありました。
退職を12月に決めていましたが、何と10月3日の辞令でいきなり地方支店への異動が決まりました。
私の働いていた金融機関では辞令当日から1週間で自分の引き継ぎ、もう1週間で異動先の支店で引き継ぎと決まっていました。これまじで超激務です!!

わたしは当時、生意気真っ盛り。2005年4月に来た新しい支店長に噛み付いていました。
意地悪な支店長でタバコを支店内でも車内でも吸い、加齢臭が強烈でした。
恐らく反抗的な態度が原因だったのでしょう。

エリアは一度も行った事がない秋田県青森県だったと思います。

私はどうしたでしょうか?
既に辞める事を告げていた新人君(因みに彼も数年後退職、現在ネットでゆるいアイドル?で結構有名です笑)とどうしようかなー?と引き継ぎしながら考えていました。


答は、その日事務所に戻り次第直ぐに支店長を呼び出し「自分辞めます」と告げました。笑
もし他の人に迷惑を考えたかと聞かれたら、間違いなく「俺も迷惑受けたんだよ」と答えます。
パワハラサービス残業はまじ迷惑でした。女性スタッフにセクハラもしている輩多数。
これが日本の一部の金融機関の実力よ!

将来暴落した時に1株だけ買って株主総会に参加予定!!笑
改善の進捗状況聞いてみます。

社内では当然非難の嵐。でも正直清々しかったです。
それは「俺の一度しかない人生だから、所詮仕事だろ。誰かが死ぬ訳でないだろ」と。

地方支店から戻る予定の家族持ちの課長さんは戻れず、待機命令。
更に結婚ほやほやの1つ上の先輩は突然異動命令。


その後本社人事部に出頭(笑)、人事部の事務のおばちゃんと退職に向けた書類の整理。
おばちゃんに「将来戻られる予定はありますか?あればここのはいに◎をして下さい」
自分「するわけないじゃないですか」
おばちゃん、自分「ガハハハ、爆笑」
その部屋のドアが開いていた為、笑い声だだ漏れ。

自分の誕生日に退職しました。自分への大きなプレゼントでした。

 

※話変わるけど、もし仕事が辛くヤバい死にたいという人がいたらマジでまずは辞めて考え直した方がいい!少し休んでも人生は長い。次の選択肢を探して行きましょう。他人の目はその時意識しない事。

それと2つ目は大学のじいさん(当時OB会長)に報告。
突然試合会場で多数人がいる中、「オメーがトップリーガーになれるわけねーだろう」と大声で罵声を浴びました。笑 その後も色々言われましたが、それ今でも記憶に残ってます。

結果は2度目指しましたが、なれませんでした。

私が若い人は、とTwitterで嘆くのは、賢くチャレンジして欲しいという思いからです。決して見下しているのではなく、まずは自分を変えて日本を変えて欲しいという思いからです。
若い人は国の宝だと思っています。

①他人のアドバイスを聞き入れる/入れないの判断
②チャレンジするリスク/しない後悔の判断
③人生設計を勢いを使える時/使えない時

等々を考えながらして欲しいと思います。

色々話は逸れましたが、これがニュージーランドに行こうと思ったきっかけでした。